節分は、現在では立春の前日をさしますが、もとはそれぞれの季節が終わる日、つまり立春、立夏、立秋、立冬の前日をいいました。。
日本では、706年に、たくさんの人民が疫病で死んだので、土の牛をつくって、はじめての鬼払い儀式が行われたことが、「続日本紀」に記されています。その儀式は追儺(ついな)といい、朝廷では鎌倉時代まで大晦日の夜に行ったそうです。
節分といえば豆まきですが、節分に豆で邪鬼をはらう行事が初めて行われたのは、室町時代の京都で、「看聞(かんもん)日記」の1425年の記録に記されています。豆は、煎った物を使います。
また、おなじみのかけ声の「鬼は外、福は内」は、「臥雲日件録」1447年に、立春前夜に家ごとに豆をまき、「鬼は外、福は内」ととなえたと記されています。
やがて江戸時代になると、春をむかえる厄払いの行事として、諸国の神社や家庭にひろまり、体を豆でなでて厄をうつしたり、年齢の数、または1つ多く豆を食べたりするようになりました。
また、ヒイラギの葉がとがっていることから、「鬼の目突き」とよばれ、その先にイワシの頭をさして戸口にかかげると、邪気の侵入をふせぐとされています。
最近では、恵方巻(えほうまき)といって、節分に食べる太巻きがブームとなっています。節分の夜に、その年の恵方(えほう)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりするそうです。ちなみに恵方は、5年ごとに同じパターンをたどり、今年は、南南東に当たります。