今日、8月15日は、70回目の終戦記念日にあたります。1945年(昭和20年)の今日、太平洋戦争が終わりましたが、日本人の犠牲者だけでも、軍人・軍属230万人、一般人80万人とされます。戦火を体験した人々の多くは、もう80代90代ですが、ひいおじいさん、ひいおばあさんなどから、当時の様子を聞いて、平和への思いを強くしてもらえたらと思います。
今年の2年生から6年生までの「道徳講演会」は、名東区にある「戦争と平和の資料館 ピースあいち」から講師をお招きしてお話をうかがいます。
HP担当者の父親(故人)は大正10年生まれ。徴兵されて兵役にはついていましたが外地には行かず、静岡県三島市の連隊に所属していました。昭和二十年、東海道線を走る列車が米軍戦闘機の機銃掃射を受けた際、遺体の片付けに動員されたのだそうです。「すれ違いざまに撃たれたのか、列車の窓の一つおきに弾が飛び込んでいて、人間の生死ってそんなことで決まるんだと思った」と、よく話してくれました。
昭和2年生まれの母親は、碧南市の工場に勤めていました。攻撃機や戦闘機の翼下につける、爆弾投下装置を作る軍需工場だったそうです。工場からの帰り、友達と田舎道を歩いていて、やはり米軍戦闘機の機銃掃射を受けました。まだ青い田圃に飛び込んで、逃げ惑ったそうです。「空母への帰りに、機体を軽くするために弾をばらまいて行くんだ、と聞かされた。青黒い飛行機の腹の色を忘れられない」「戦争だけはしちゃいけない」米寿を迎えた今も、ことあるごとに語っています。