6年生の道徳講演会は、「戦争と平和の資料館 ピースあいち」から、副館長のTさんと、語り手のKさんをお招きし、「命をたいせつにしよう~戦争体験を聞いて~」をテーマに行いました。
最初にTさんが、日本が戦争に突き進み、大都市が次々に空襲を受けた様子、そして学童疎開が行われた理由を説明されました。「次の世代を担う子どもたちを安全な場所に避難させる」という建前のほかに、「空襲下での足手まといをなくすための厄介払い」という意味もあったと…
語り手のKさんは尾張旭市新居町に在住の方。戦時中は名古屋市の千種区にお住まいで、国民学校(1941年に尋常小学校が国民学校初等科になりました)5年生になるというときに、岐阜県恵那郡福岡町の公民館に、2歳下の妹さんといっしょに集団疎開をされたのだそうです。1945年3月末ですから、名古屋大空襲を経験されたため、ご両親と離れ離れになる辛さをこらえて、疎開を決意されたとのことでした。
北恵那鉄道で目的地に近づきにつれ、暗い竹藪の景色に異世界に連れて行かれるような恐怖を感じ、妹さんが泣き出したこと。男女別々の生活のため、年端もいかない妹さんと別れ別れに生活しなければならず、心配でたまらなかったこと。食べ物と言えば豆かすとカボチャの入った雑炊ばかりで、身体の弱い妹さんが栄養士失調になり下痢が止まらなくなったこと。何とか終戦を迎えたものの、結局妹さんは回復することなく、数年後に亡くなられたことなどを話されました。
また「学童疎開は、親元を離れて『さみしい』、食べるものがなく『ひもじい』、シラミやノミにたかられて『かゆい』ものだ、といった人がいる」と紹介され、戦争には幼い子どもも巻き込まれるのだと語られました。最後に「国民学校の歌」の録音を聞かせていただき、「それぞれの学校の校歌の代わりに、日本全国の学校で同じ歌が歌われるって、どういうことだと思いますか」との問いかけで結ばれました。子どもたちはしわぶき一つ立てず、真剣な目で静かに聞き入っていました。Tさん、Kさん、本当にありがとうございました。