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「私が見つけた夢と路(みち)」 落語家 桂七福

 6月10日(金) 心の絆活動「命と心の講演会」

講師 落語家 桂 七福氏  演題「私が見つけた夢と路(みち)」

桂七福さんは四代目桂福団治一門の上方落語家さんです。現在は出身地、徳島を中心に活動し、全国各地で落語や人権をテーマに講演も行ってみえます。人権をテーマに講演を行うのは、桂さんが幼少期に受けた「偏見」や「大人からのいやがらせ」の経験から分かったことを、多くの人に「大丈夫だよ」とメッセージを送りたいと思ったからだそうです。

今回の講演でも、自身の半生の話から、言葉の問題や夢を持って生きることの大切さ等、さまざまな話をしていただきました。

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○      自分の両親は、結婚前に子ども(自分)ができ、周りから孤立し、駆け落ちすることになった。今は、自分のために人生を棒にふってくれたのだと感謝している。

○ その時、母親は、友達がみんな離れ、一人になってしまったと思ったが、二十年後の同窓会で、それが誤解であったことがわかった。

○   その後、父親は暴力を振るうようになり、母親は離婚を決意した。生活のために夜の仕事をする

 ことになるが、近所の人からは子どもを置いて仕事をすることを責められていた。自分は、「何で子どものためにがんばることが悪いのか」と疑問に思った。

 

    大人の世界の差別は、子どもの世界に下りてきて、友だちに絶交された。自分の中で後ろ向きスイッチが入り、他の子はそうでなかったかもしれないのに、みんなそうだと思い、人が信じられなくなった。小・中学校は人とつきあわない生活が続いた。マイナスの考え方で、学校も面白くなかった。

 

   人間嫌いで、機械相手の仕事につきたいと工業関係の学校に進んだが、そこで落語に出会った。

 老人ホームに慰問した時、自分の語りに反応してくれることをうれしく思い、この道に進むことになった。

  ○ 心の中に、言葉の引き出しが二つある。一つは「うれしかった言葉」が入った引き出し、もう一つは「嫌だった言葉」が入った引き出し。自分は小さい頃から、「嫌だった言葉」の引き出しがいっぱいであった。でも、人の言葉を「うれしかった言葉」と「嫌だった言葉」に分けているのは自分なのである。逆に自分の言った言葉も、相手が分けている。自分ではそういうつもりじゃなかったのに、相手が意味を決めてしまう。相手を思いやって言った言葉でも、悪い意味にとられてしまう。

 言葉はまっすぐ伝わらない。言葉はずれてしまう。このことを覚えておいてほしい。

 

○ しかし、言葉でできた溝は、言葉でうめられる。言い訳をするなと言われるかもしれないが、言い訳は悪いことではない。言い訳は、自分を正当化するものではなく、こんなことで相手とのつきあいをやめたくはない、相手が大切だということを伝えるものである。言い訳をせず、「別にいい」と思うことは、相手のことをどうでもいいと大切にしないことになる。逆に言い訳をされたら、相手が自分のことを大事に思ってくれていると受け取る。

 

○   言葉にはとげがある。とげのある言葉を気付かず使ってしまうことがある。

  インタビューで「結婚相手はどんな人がいいですか」と聞かれた人が「普通の人でいいです。普通の家庭でいいです」と答える。「普通」という言葉にとげを感じないか。「普通」の家庭というが、どういうことが「普通」じゃないのか。「普通」じゃない家族、「普通」じゃない人って何?そこに差別がないか。

 

○ 「かわいそう」と言う事がある。相手を思う気持ちを表そうとして言うが、相手は上から目線で言われたように感じる。

 

   たった一言が一生の傷になることもある。

 

○  自分が好きと言えるか。自分が正しく好きであるためには、いい子、いい人である必要はない。いい子、いい人を目指さなくてもよい。ただ、嫌な奴にはならないでほしい。

 

○   中3の人は、進路を決める時期であり、将来について聞かれることもあるだろう。将来の夢を聞れると、「別にない」と答える若い人が増えている。「ない」と言うのは、マイナスのエネルギーになってしまう。将来の夢が「ない」という声を聞くのはまず自分である。うそでもいいから「まだ見つかっていません」と答えよう。できれば、2つ3つ、夢をもってほしい。

 

○  なりたいものが見つかったら、勇気を出して、身近な人に言おう。周りの人に言うことで情報が入ってくることもある。悪く言われることが100あっても、1ついい情報が入ってくればいい。

 

○ 夢をあきらめてしまうと後悔が残り、ずっと引きずることになる。壁を乗り越えられないときは、立ち止まるのもいい。自分だけで判断しないほうがいい。

 

○ いじめ報道で、「なぜ学校は気づかなかった?」「なぜ家族は気づかなかった?」と学校や家族を批判するが、だまされないように。いじめは、やる側もやられる側もかくそうとするものである。

 

○   大人の中に「いじめられるより、いじめるくらいの方がいい」という人がいるが、それは間違った考えである。いじめる側が「そんなつもりじゃなかった」「たいしたことはない」「遊びのつもりだった」と言う。いじめられる側にとっては「少しでもいや」なのである。

 

○   いじめられると、マイナスの考え方に陥り、「自分が弱いから」「自分がだめだから」と思い、自殺してしまう人もいる。しかし、それはいけない。助けを求めればいい。自分の弱さを認めることは、逃げることではなく、戦うための準備をすることである。

 

○ 言葉で嫌な思いをした人は、自分は嫌な言葉を使わないようにしてほしい。傷ついた人に限って、人を傷つける言い方が上手になってしまう。

 

  「いやな奴にはならんといて」「いやな思いをした時は助けてと言えばいい」「自分の思いは相手に伝わらないと思っておく」というようなことを、少しでも覚えておいてもらえるといい。

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