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人の命を救う道(あいちの偉人③12の話)

福祉委員会の赤十字クイズに、「日本赤十字の父の一人は愛知県出身である。○か×か」というものがありました。

正解は○。正解者はあまり多くなかったようです。

日本赤十字の父といわれるのは、三河出身の大給 恒(おぎゅう ゆずる)という人です。

この人の話が、「あいちの偉人③」の巻頭をかざっています。

大給 恒は、1839年(天保10年)、三河の国奥殿藩の藩主の次男として生まれました。

わんばくな子どもでしたが、その後、学問に励み、藩主となりました。新しく明治政府ができると、信濃(今の長野県)の知藩事になりました。

西南戦争の時、戦いが激しくなり、むごたらしいありさまになっていることを知り、けが人や病人を救うため、博愛社をつくろうとしました。「西郷軍まで救う必要はない」という政府に対し、一歩もひかず、博愛社設立を認めさせました。この博愛社が後に日本赤十字社と名前を変えたのです。

日本の偉人、世界の偉人の伝記をよく読む人もいると思いますが、愛知県にもたくさんの偉人がいるのです。

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