本地ヶ原が陸軍演習場だった頃、さまざまな演習が行われました。大きなものとして、明治44年に陸軍特別騎兵演習があり、当時皇太子であった大正天皇がご覧になったということがあります。本地ヶ原の大地を騎兵が駆け抜ける様は、明治版「白山林の戦い」のようであったのかもしれません。大正時代の空中写真には、塹壕が写っていて、第一次世界大戦のヴェルダンの戦いやソンムの戦いのような塹壕戦の演習が行われていたのかもしれません。昭和に入ると、飛行機を使った演習が行われるようになったそうです。昭和3年の各務ヶ原飛行隊の飛行場設営訓練では、トラックのほか、給油車、始動車など11両、先発部隊60名ほどが着陸場の整備とテントによる格納庫の設営を行ったそうです。昭和19年頃には、赤トンボ型練習機が新池で模擬爆弾の投下訓練を行ったり、ヘリコプターの先祖であるオートジャイロが不時着したりしたこともあったそうです。この地で演習をした兵士は、その後、戦場へと送られていったのでしょう。今の本地ヶ原の様子からは想像もつかないことです。
先日、「この世界の片隅に」という劇場アニメを見ました。戦争中の広島や呉を舞台にした物語で、当時の生活が細かに再現されていました。戦争の時代に生きた人々を身近に感じることができました。だからこそ、人々の生活が戦火で失われる悲しみも、より伝わってきました。そして、その中でも失われない人の絆も、