平和関連施設訪問事業で、平和記念資料館を見学した後、地下1階会議室で被爆者の方の体験講話を聴きました。
話してくださったのは、20年以上語り部を続けてみえる森田節子さんです。
森田さんは、被爆した時の様子をくわしく話してくださいました。
高等女学校1年生(12歳)の時に、被爆しました。
その日は広島駅近くの東練兵場のいも畑で草取りをしていました。
そして、何の前触れもなく、突然の閃光を感じ、続いて体が浮いたかと思うと失神しました。
気がつくと、周囲は地獄でした。薄暗く異様な臭いの中、一人また一人亡霊のように立ち上がってくる人々。
友達が手をさしのべて来たので、引き上げようと手を握ると、彼女の皮膚がはがれ、ショックを受けました。
こげた所が一番痛く、次に水ぶくれの所、皮がむけた所は痛くありませんでした。
その後、東照宮に逃げ、広島の町を見ると、黒煙と火の粉に包まれていました。
それから、駅を目指し、逃げることになりました。助けを求める人がいましたが、自分が逃げるのに精一杯でした。
長い間、原爆のことは話すことができませんでした。
広島を離れてからも、被爆者は差別を受け、いやなこともありました。
広島に戻った時、語り部を引き受けました。同級生では他に語り部はいません。
自分たちのわからないところで戦争になり、戦争になると、人間は物扱いされます。
戦争をしない方法、海外の人と仲良くする方法を考えたいです。
今、海外へも行って、原爆の話をしています。
これから、原子力発電所の近くへも行って話をしたいです。
実際には1時間以上かけ、もっとくわしく話していただきました。
戦後67年がたち、実際に原爆を経験された方も少なくなっています。
話を聞いた者が他の人に伝えていくことが大切だと思いました。