平和関連施設訪問事業で、「原爆の子の像」に千羽鶴を捧げた後、次に本川小学校へ行きました。
本川小学校は、原爆ドームの西、原爆投下の目印となったT字型の相生橋をはさんで対象の位置にある、爆心地に一番近い学校でした。鉄筋校舎であったため、原爆投下後も校舎が残り、現在もその一部が資料館として残されています。
ここでは被爆2世の岩田さんから説明を聞きました。
本川小学校は原爆投下後も建物が残っていたので救護所として使われたそうです。多くのけが人が運ばれ、足の踏み場もなかったそうです。そして、亡くなった方は運動場に穴を掘って焼かれました。
校舎の改築工事が行われた時、たくさんの人骨が見つかり、それは供養塔に納められたそうです。
岩田さんのお母さんの話も聞きました。岩田さんのお母さんは、缶詰工場で働いていた時、被爆されたそうです。家にいた家族はみんな亡くなられたそうです。ちょうど数日前家族で写真を撮ったのですが、できた写真を見ることができたのは岩田さんのお母さんだけだったのです。岩田さんのお母さんはそれ以来写真を撮ることをしなくなったそうです。
この話は「いわたくんちのおばあちゃん」という絵本になり、小学校5年生国語の教科書(東京書籍)にも掲載されています。
岩田さんのお母さんは原爆の話をされないそうです。お母さんから聞いた話を岩田さんがいろいろな所で伝えているそうです。
本川小学校の地下室には、今も原爆投下後の様子がそのまま残っています。熱線で焼けた扉の木枠や黒く焦げた壁も当時のままです。溶けたガラス等を触らせていただきました。
岩田さんは、最後に、「昔、戦争があったということでなく、戦争は未来にあるかもしれないと考えてほしい」と言われました。
それは、戦争を自分たちの問題として考えてほしいということだと思います。
本川小学校平和資料館ホームページ
http://www7.plala.or.jp/honkawa-pta/index.html