平和関連施設訪問で、最後に、原爆ドームから平和記念公園を、ピースボランティアの橘さんの説明を聞きながら見学しました。
橘さんは、最初に、ここは観光地ではないので、気持ちをリセットして、戦争とは、平和とはという、答えのでない問題について考えてほしいと言われました。
原爆ドームは、憎しみや悲しみがよみがえるから、見たくないと、取り壊す話もあったそうです。しかし、原爆の恐ろしさを伝えるものとして残すべきであるという意見で、何回も工事が行われ、保存されています。
原爆ドームのすぐそばにあるT字型の相生橋が原爆投下の目標とされました。実際の爆心地は300m離れた島病院ですが、高度約1万mから投下したことを考えると非常に正確な爆撃であり、それは爆撃訓練の成果と言われています。
平和記念公園は、被爆前は中島地区と呼ばれ、広島市の中心的繁華街でした。今は広々とした公園ですが、かつては建物がぎっしりとあったということです。
公園の中には、「遭難横死者慰霊供養塔」や多くの慰霊碑、「原爆の子の像」や核兵器がなくなるまで燃え続ける「平和の灯」などがあり、世界中から訪れる人が絶えません。
被爆された方の中には、自分だけが生き残ったことの苦しんで生きる人もいます。自分が生かされた意味を考え、被爆証言をされる方もいれば、とても伝えられないと語らない方もみえます。
見学の最後に、生徒代表が被爆体験を朗読し、被爆者の思いを共有しました。
生徒は平和記念公園をあとにして広島の街を歩いていた時、「ここが被爆したとは信じられない」とつぶやいていました。確かに、現在の広島の街には戦争のあとは見当たりません。しかし、街をゆく人の中には、被爆された方やその関係者の方もきっとみえると思います。また、広島だけでなく、日本全体でも、同じようなことがいえるかもしれません。戦後67年がたった今、戦争体験を風化させないことの大切さを改めて感じました。
右手に見える水色の建物が爆心地であった島病院です。この建物の上空高度600mで原爆が爆発しました。